皇室の宝がトレードに?  噂のキーマンA ! 氏をとりまく人物の謎 !

今回取り上げるニュースはこちらです。記事の一部を引用してお伝えします。
M子さんMET就職で皇室の宝がトレードに? 噂のキーマンA氏をとりまく人物の謎
元皇族のパワーを武器に、もうすぐ憧れのニューヨーク・メトロポリタン美術館への就職を果たすのではないかと報じられているM子さん。その際に皇室・三の丸尚蔵館の大変価値のある収蔵品がトレードに出されるのでは…と騒がしくなっている。政権の中枢で2017年からそうした提言をしていたA氏。だが彼は、社会的地位がかなり高いにもかかわらず、Twitterで国民を罵倒することがある。日本に来て、どんな人物と交流するなかそんなキツイ言葉を覚えてしまったのか。筆者は「被害者のひとり」として、彼の周辺人物がやけに気になってしまった。
A氏(以下DA氏に変更)は、菅前首相が経済政策のブレーンとして長く信頼していた元・証券アナリストで、最近は情報番組のコメンテーターとしても活躍している50代後半の在日イギリス人。よろしければ【その1】の『M子さん皇室の宝を手土産にMET就職か 後押しと噂の凄腕キーマンA氏について』、および【その2】の『M子さん就職を後押しと噂のA氏は頻繁なエゴサで国民を罵倒もお読みいただければと思う。
まずはDA氏の経歴から。
オックスフォード大学で「日本学」を専攻し、1985年に一年ほど日本に滞在してすっかり茶道にハマり、着物を着ることを覚え懸命にお稽古に励んだそうだ。コンサルティング会社、ソロモンブラザーズ証券を経て、ゴールドマンサックス証券で証券アナリストとして活躍し、2007年に退職。40代だった2009年、国宝・重要文化財の修繕に関わる東京都港区のKB工藝社に入社し、その後に社長を引き継いだ。
ここからは、DA氏が来日後に交流してきたと思われる人物や組織についてとなる。残念ながらTwitterや匿名掲示板からの情報は含まれず、メディアが配信した情報のみとなり、また、伏せ字ばかりで大変読みづらい上、Google検索に非対応としたことをお許しいただきたい。

■KB工藝社
2016年、『木村達也 ビジネスの森』に登場し、インタビューを受けたDA氏はKB工藝社との縁について、「たまたま軽井沢の別荘の隣に当時KB工藝社の女社長であったKMさんが住んでいて、現場を一度見にきませんか』とお誘いをいただいた」などと説明。それがきっかけで、KB社の事業に強く関心を持ったとしている。
 
■前首相・菅義偉氏
DA氏はKB工藝社の事業にかかわる一方で、日本経済に提言する複数の著書を執筆。2020年には菅首相の経済政策および観光立国政策のブレーンに躍り出た。
カジノ、ホテル、国際会議場、展示場、劇場、ショッピングモールなどを集約させたIR(統合型リゾート)構想は、賛否両論にわく大きな話題だが、DA氏の著書『新・観光立国論』に感銘を受けていた菅前首相は、「DA氏の言う通りにすればいいんだ」とばかり、彼にとことんのめり込んでいたようだ。
 
■和田誠一氏
『週刊ポスト』は2020年12月、政権中枢とDA氏をつないだのは、1990年代に消費者金融業界で名を馳せ、政界に人脈が豊富な国際金融ブローカーの和田誠一氏だと報じていた。和田氏はなんと2014年4月からKB工藝社の会長。どんな旨味があって年商10億円ほどのその会社に?と話題になっていたようだ。
もっとも、DA氏は『週刊文春』に「文化財の修繕に日本産の漆を使うべきだと提言するため、政治家との繋がりが必要で和田氏にKB工藝社の会長になってもらった。その後、自民党の下村博文氏を紹介してくれた」などと説明している。
2020年10月、日刊サイゾーは『ビジョンなき菅首相がすがる金融、経済、医療、外交の怪しい人脈』という記事でこう伝えていた。
この会社の会長を務める和田誠一の存在に「危険だ」(経産省中枢)という声があるという。 和田は消費者金融の武富士や医療法人徳洲会の資金調達で名をはせた国際金融ブローカーで、下村博文元政調会長と近いそうだが、具体的に何が危険なのかは触れていない。
誰が誰を誰に紹介したのか、どこがどう危険なのかは、探ったところで情報が出てくるわけがない。いずれにせよ、現社長と会長は永田町や霞が関と通じているということだ。
 
■KB工藝社・前社長のKM氏
KM氏は、上智大学外国語学部を経て、米ワシントンD.C近くのジョージタウン大学やロンドンのキングス・カレッジに留学。その後、日本新党および新進党で働いた経歴を持つ。
2011年、KB工藝社の社長の座をDA氏に譲ったKM氏だが、彼女はまったく別の業界でビジネスを行っていた。キングス・カレッジ留学中に出会い結婚したスウェーデン人の夫、ニルス・ビルト(Nils Bildt)氏とともに国際警備会社「CTSS Japan」を経営していたのだ。
その会社は治安の悪い国に進出する日本企業などと契約し、現地情報の分析、ロジスティックス支援、セキュリティーサービスなどを提供していた。かつて事務所を港区虎ノ門の共同通信会館2Fに構えていたようだが、ホームページはもはや存在せず、同社のFacebookは奇妙なものへと替わってしまっている。
 
 
 
 

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